20代一般男性の価値観

価値観の記録

【海街】今、溢れかえる芸術作品達の中から触れるか触れないかを選択することができる現代。その選択のタイミングによって人生が大きく変化することへの戸惑い

ある作品との出会い

 

 

最近、よく「この作品は今触るべきなのか?」と思うことが多くて困っています。

 

今無数の情報が飛び交う現代SNSやネットニュース等で色んな作品と出会うことがあると思います。

音楽や映画、小説、漫画、様々な形で作品が溢れかえっていて、流行り廃りが目まぐるしくYouTubeに至っては「あなたへのおすすめ」としてAIが好きなモノはこれでしょ?とドヤ顔で差し出してくる感じ

「ありがとう!そう!それそれ!」となるぐらい感謝している部分もありますが、はたして便利な世の中になったのか?その弊害が出てるのでは?と疑問を持つ時もあります。

 

そこで言いたいのは

私たちには触れる作品を無数の作品の中からいつでも自由に選ぶことができる

という権利を持っているということ。

 

いつでもというところがポイントで作品と出会うタイミングも選べるんです。

作品を選ぶのでも難しいのに、タイミングも選択しないとダメなんて頭がこんがらがりそうで。

皆さんはどうしているんですか教えていただきたい。。。

 

逆に意図せずに触れてしまうっていう経験もあるんじゃないでしょうか。

たまたま入ったお店で流れてきた曲。

これ、元彼が好きだった曲だ、、、みたいな

 

昔は別れ際に花の名前を言って、相手がその花を見るたびに私のことを思い出して後悔すればいいみたいな件はよくあったらしいです。知りませんが。

有川浩さんの植物図鑑か、川端康成の小説だったか忘れました(笑)

今は花の名前じゃなく、それはなんらかの作品になってますよね

別れ際にお互いに好きな本を交換するとか、好きな人と見た映画のワンシーンとか。

花より思い出してしまう数が圧倒的です。困ります。

 

 

 

話が脱線しましたが

なぜ悩んでいるのかというと

僕の作品に対する価値観の話。ある作品に人生を変えられたことがあるからです。

 

 

幼稚園から高校まで続けていたサッカー

他の部員が帰ってもボールを蹴って、誰よりも早く学校へ来てボールを蹴り、部活が休みの時でもボールを蹴り、マラソン大会が終わって解散した後に学校へ行きボールを蹴ってでも上手くならない。努力は才能には勝てないと壁を感じた高校3年の10月。

行きたい大学もなく、その当時は夢もなく、夢もやりたいこともないのに大学なんか行くかと変なプライドだけは持ち合わせていた結果、浪人。

当時から付き合っている彼女や家族には心配をかけたと今は思うけど、当時は黙っとけ俺の人生だと変なプライドと、何とかなるという根拠のない自信がありふれていて若さ故の尖り方をしていたなと。

そのプライドと自信が一気に崩れることが起き、数ヶ月部屋に引きこもることになるんですが、何故かテレビに映っていた一つの映画に(DVDを借りてきたのか、金ローで放送されていたのか?当時の記憶が曖昧です)心を持っていかれました。

是枝裕和監督の「海街diary」でした。

こんなに綺麗な映像があるのかと。この映画を見ているときは全ての辛いことをを忘れることができ、映画を作りたい。となったので翌年に映画の学校に入り、その翌年には運がよく映画の現場に行って助手として働き、夢が叶って今。

 

 

何が言いたいかというと、一つの作品で人生を180°変えられるぐらいのパワーがあるということを強く言いたいです。人間が時間をかけ、考えて考えて作っているんです。それほどのパワーがあるのは至極当然なこと。

 

でも、逆に20歳ぐらいに出会った村上春樹ノルウェイの森は、全くと言っていいほど訳がわからなくて(笑)

まだ、読むタイミングが早かったんだと思い本棚に眠っていますが、いつかまた読んでみて違った感想が出るのではないかとワクワクです。

 

人生は選択の連続で、いっぱいの作品の中から自由に選べる

さらにそのタイミングすら選べるということ

(選べない時もありますが)

 

だから、それが分かった瞬間から迷っているんです。今この作品に触れるべきなのかと。大変です。家にはまだ読めていない小説、漫画が山のように積読。さらにはDVDまでも手を出し、これもまた積まれてます。

NetflixAmazonプライム、Hulu、FODまで契約し、見たい映画やアニメがお気に入りに溢れかえっています。死ぬまでにこれが全部見れるのか。無理です。

 

 

 

すごくすごく嫌になってきました。