20代一般男性の価値観

価値観の記録

恥と時間

 

 

 

大失敗。

 

 

社会に出て失敗をしてしまうことは多々あっても、大失敗って数少ない経験だと思います。

何を持ってして失敗と捉えるのかは人それぞれだとしても。

大人になってからは、なるべく失敗をしないように、安牌を切って生きてきたつもりです。リスク回避というのか、ただ恥をかきたくないだけなのか。

 

流石に大衆の前で恥をかくことはないと自分は過信していました。

なんとなくぬるっと社会に出て、それなりに対処法を身につけてきたつもりではいたのです。

 

自分は少しばかりではありますが年齢を重ねたことによって、変な自信が身についていたと言いますか。もちろんそのような練習や訓練、成功体験を積んでいないわけですから。よくよく考えてみれば失敗するに決まっているじゃないですか。

 

それでは、なぜ失敗を犯してしまうのか自分なりにしっかりと分析してみようと思いました。

 

まず、その課題に着手するのが遅すぎたのが一つの原因です。

昔から期限ギリギリに課題を提出する質でしたし、大人になってもこれは直らないものですね。大勢を巻き込んで恥を晒して、尚且つ絶対に失敗したくない場所でしたから。なら、なぜ早く問題に着手しなかったのか。先の想像力がなかったからなのか。

 

あと、大緊張しましたね。そもそも、そのような大衆の目に晒されるような職種ではないですし技術職ですから話術が必要なわけでもないし経験もない。

物事には向き不向きが存在すると思っています。不向きな人間がやってしまうと大惨事になることは分かっていたはずなのですが、なんせ大切な友人からの頼まれごとでしたから断る訳にはいかなかったのです。

 

ある意味の使命感ってやつでしょうか。自分しかその役目を果たせる人間はいないのではと。もし自分が断りを入れ、他の人間がやっているのを見ると後悔してしまうのではないかと何度も考えました。

 

 

最後に私を後押ししたのは「なんとかなるだろう」という過信。

それは、今まではなんとか事なきを得てきたからです。

その時も恥をかいていたのかも知れません。ただ、その出来事は誰も覚えていないだけ。

社会に出る前の学生時代ですから楽しい記憶で上書きされます。それを分かっていなかった。

 

今回起こってしまった大失敗は大人になってから。

先ほど出てきました。失敗を失敗だと思わなければいいのではと。どこからが失敗であるのかという問題です。

大人なのですから、物事は考えようによってどうとでもなると。要はプラス思考に変換をし失敗を肯定してあげて失敗だととらえないことにする。

大人の対処法で、社会を生き抜く術です。

社会に出ていないうちは周りには仲間がいます。優しい言葉をかけてもらって元気をもらうわけです。不仲な人からの心無い声もあるかも知れませんが顔見知りなので幾分かはマシに捉えられました。

社会に出てからは違いますよね。周りには心の内を知らない人だらけです。人間の闇を知っていますから、ネガティブな思考が増幅していく感覚がありました。

 

その時は、もちろん周りに仲間はたくさんいました。その仲間は温かい言葉をかけてくれます。

でもそこで仲間以外の人からの心無い言葉が耳に入ってしまったのです。

それを重く捉えてしまいました。

大人なので分かっているはずです。あからさまに態度で出しても仕方のないことは。

しかし、その場の空気を悪くしてしまうくらいに今思えば態度に出ていました。

何か色々な思いが重なって、そこにとどめを刺されると想像以上に食らってしまう。

悔しさ。準備を怠った自分の不甲斐なさ。何度やっても学ばない。自分ならまだしも他の人に恥をかかせてしまったのではないか。もう取り返しのつかない。リベンジしようとも思わない自分への呆れ。。。

 

 

何度も言いますが、大前提に物は考えようだと。出来事は人の記憶の中からやがて消えてしまうもの。そんなことは百も承知で、ただ自分の能力を把握していた気になっていた上での期待や甘さ、驕りや過信が許せなくて。さらに他人からは簡単なことかも知れないことで躓いている。それを乗り越える能力を備えていないという事実に心底腹が立つということ。

 

 

こうして文として形にすると脳が整理されたように思えます。

社会に生きていく上でのリスク回避能力というものは経験でしょうか知識でしょうか。はたまた幾多ものリスクを想像できる力でしょうか。

そんなにすぐに想像できるようになるのか。時代は目まぐるしく移り変わり、その時代のその時に何が成功か失敗かなんて誰が想像できるのか。

なら、想像なんか無駄なことをやめて生きよう。

ただ、自分と向き合って現状を理解し、癖、性格、考え方を把握して謙虚に生きる。それだけしかできないのかも知れませんね。

 

人間は失敗を繰り返す生き物です。人生で絶対に失敗してはいけないという局面は要所要所あるはずです。

他人にとって別にその失敗は良くても、自分の中では許されない場面。また逆も然り。

自分が失敗だと思ったことに関しては、自分の能力不足が100原因です。環境のせいとかはない。今まで恥と向き合ってこなかった。思考してこなかっただけ。

 

社会に出る前に、恥との向き合い方を誰が教えてくれるのでしょうか。

そもそも恥は背負って生きていくものなのでしょうか。恥は置いていっていいものなのでしょうか。

恥は悪なのか。糧なのか。

大人は子どもに恥のないようにと。恥ずかしい大人は沢山いますが、その人は恥と思っていない。

恥は主体的なのか相対的なのか。

恥は後から出てくる時もありますよね。あの時、今思えばと。過去の自分を恥じたり。

反対に時間が経てば皆の記憶からも自分の記憶からも消えてなくなる。

 

恥は時間。時間が解決するのか。時間が恥を生むのか。

また、こうしてる間にもこの文章が時間をかけて自分の中で恥へと変化していくのかもしれない。