20代一般男性の価値観

価値観の記録

嘘と真実の狭間で生き延びる為には、嘘を知ることからはじめる。

「好きな人のタイプは?」

「うーん、嘘をつかない人かな....」

 

たまに見かけますね、こんな人。過去にどんなひどい目にあったか知らないですが、嘘をつかない人なんか存在しないですし、嘘を「悪」としてみている人に考えの選択肢を増やしてほしい。

嘘の価値嘘の種類嘘を見極める能力の必要性について、今の自分の考えを書き綴りたいと思います。

 

 

まず、嘘の意味。「事実ではないこと。人間を騙すために言う、事実とは異なる言葉。特に故意に表明されたことを言うWikipediaより。

 

 

 

人それぞれ存在すると思うんです。「嘘を許せるライン」が。そのラインは、嘘を誰から受けたかによって変化するというすごく曖昧な基準。許してしまった時点でその嘘は嘘じゃなくなるのです。

 

 

嘘の意味的には、マイナスな言葉ではあるんですけど、受け取り方次第でその嘘は、人を楽しませるエンターテイメントとなりえますし、また愛情にもなりうるのです。

 

僕は映像の学校を卒業し、映像に携わる職に就きました。その学校の授業で教えられたのは

カメラより向こう側は嘘の世界。嘘をいかにして本物に見せるかが勝負。よりリアルに近づけることができる腕を持っている奴だけが生き残る世界」だと。

 

 

確かにテレビで見るバラエティ番組は台本があるし、ドラマや映画などで太陽の光だと思っている光は、ほとんどライトで作った人工的な光です。恋愛バラエティーは台本こそないらしいですが、演出が入っています。

これらも一種の嘘なのですが、当たり前に日常に溢れていて嘘を無意識に受け入れ、楽しさに変換しているのです。

 

エンタメ=嘘。ということを言っているのではなく、受け手によって嘘が嘘じゃなくなるということ、世界には色んな種類の嘘が溢れているということ、それを見極める能力が必要で、それがないと絶対に損をしてしまうということ、それを言いたいのです。

 

 

 

表舞台に立っている人間の話。俳優やアイドルについて。ここから嘘の価値についてをお話しします。

俳優さん。特に女性の方は、男性より演技の成熟が早いと聞いたことがあります。それはなぜか。普段から女性は化粧をし自分の素の姿を隠し綺麗に見せるという習慣は昔から続いていること。これは周りからの目を気にして、もっと自分をよく見せたいと思う心理からきていると思うんです。比較的、女性は男性によくみてもらいたいという欲は幼少期から植え付けられる、その逆で男性は女性にというのも当然あるのですが、女性の方が外に意識を向ける時期が早いので一般的に演技の成熟が早いと言われていたりしてます。

あまり言いすぎると、男女差別やら、フェミニストの琴線に触れてしまう現代なので言い過ぎないように言葉を選びたいのですが、伝わりきれるでしょうか。

女の人は嘘がうまいとか、まあ、察していただけると幸いです。

 

そこから、アイドルの話。

ハロープロジェクトやジャニーズなど最近のアイドルグループは、中学1年生で加入などよくある話で、過去を振り返ると小学生の頃から表舞台に立っている子も珍しくはないです。

ここで例に上げさせてもらうのは中森明菜さん。15歳でスター誕生に出演し、翌年デビュー。16歳で少女Aを歌ってます。

皆さんも一度は耳にしたことがあると思うんですが、16歳にあの歌詞を歌って踊ってを表現させるというエンタメは画期的で、本人はどういう気持ちで歌ってるのかは分からないですが、哀愁漂わせる歌い方や表情は、みている人を魅了させました。

どんな容姿のファンの方でも愛し、優しい言葉をかける。それを鵜呑みにしたファンは愛情を注ぎ、そこでお金が動きます。

表に出る人は自分のプランニングも大切で、歌やダンス以外での場面で自分の個性を出し、キャラ付けをします。時にはバックボーンだったり自分の考えをさらけ出し、それに共感や賛同を得る。それがパフォーマンスに繋がったり、普段とのギャップに引かれたり(その普段の姿といっているのが本当の姿じゃなかったり)売り方が大切です。

なぜ、人はアイドルに心が動き、お金を動かすのか。

ハマったことのない人は言うでしょう。「あんなの嘘の塊だ」と。

すごい変なベクトルに向いているファンだと、アイドルに恋愛報道が出た時、掌を返して「騙された。今までファンにむけた愛情は嘘だったのか」などと言う馬鹿が多数出てくるのです。

所詮エンタメです。恋愛じゃない。アイドルも時には笑えない瞬間だってあると思うんです。でも笑わないといけない時だってありますし、「応援してくれているファンの方々が大好きです」と心の底から言っているかは定かではないです。また、言いたくないことも言わなければいけないことだってあります。

何を嘘と捉え、何をエンタメと捉えるのか。それは受け取り方次第です。

 

 

最後に、冒頭で言った恋愛の中での嘘について。ここからはお金の為の嘘ではなく、愛があるが故の嘘についてです。

嘘が嘘だと気づいた時に、それは嘘になってしまうので、知らなければそれは嘘ということにならないということ。

君のためを思っての嘘だったんだよ」という人。これはもう嘘だと相手が分かった後なので言い訳にしかならないです。

お金の為の嘘(エンタメ)は自分はそれが嘘だとわかっていながらも嘘に飛び込んで自ら溺れることができるんですけど、愛があるが故の嘘は気づいたらもう沼の中という違いがあります。

そこが沼だということを気づかせない努力をする。嘘を隠すためにまた新しい嘘をつくそれの繰り返しで、嘘をつく側も違う意味の沼にハマっていく。

ここで言いたいのは、愛のある嘘をつかれた側の人間は、嘘だとわかってもそれが嘘であると気づいてはいけないということ。

それは紛れもなく嘘なのだけれども、その嘘は愛であると変換してほしいということです。

嘘が嘘であると認識してしまった場合、今までの言動全てが嘘に変化してしまうこと。それは逆にその嘘を嘘と捉えずに愛と捉えれば、全ての言動も自ずと愛と受け取ることができるのです。

 

知らぬが仏という言葉があります。皆まで言いません。

 

 

 

ここで愛があるが故の嘘という話をすることによって、僕が愛している人に嘘をついているから許してほしいと遠回しに言っているのではありません。

そんな分かりやすいことはしないです。だってそんな自ら明かすようなことをするでしょうか。普通ならしません。

 

そこで何が嘘であるかを見抜く能力が必要になってきますし、自ら嘘に溺れて楽しむというのも悪くないですよね。

嘘を嘘であると認識しないようにできるという一種の「才能」を持っている人が存在するという事実。そんな人が僕は大好きです。