20代一般男性の価値観

価値観の記録

キングオブコントの会を通して松本人志が言いたかったこと。若造なりの解釈。

 

 

キングオブコントの会

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皆さん、見ましたでしょうか。松本人志が20年ぶりに民放でコントをすると話題になりました。

僕たちの世代が幼い時見て育ったお笑い番組といえば、「めちゃイケ」「はねるのとびら」「エンタの神様」「レッドカーペット、レッドシアター」などが全盛期の時代。

松本さんが現役でコントをやっている姿は見たことがあまりない世代です。「ドリームマッチ」で内村さんとの刑事というコントが印象に強く残っているぐらいで、あとはM-1の審査員をやっている人か、映画を撮っている芸人さん、年末にお尻を叩かれているおじさん。ぐらいのイメージしかないのです。

今、テレビで活躍している芸人さんのほとんどは口を揃えて言うのは「松本人志に憧れて芸人を目指しました」と。

僕たち20代の世代は、松本人志がどれくらいすごい芸人なのかというものを知らない世代であることは事実です。そんな世代がお笑いというものを理解できる年齢になって初めて松本人志の実力が確認できる場、それが「キングオブコントの会」でした。

さらに、このご時世にカリスマ松本人志はどんなメッセージを込めたコントを書き下ろすのだろうか、今の芸人たちに向けて何を残すのだろうか、世間にまだ松本人志は死んでいない。現役だ。と知らしめるのだろうか、とワクワクが止まりませんでした。

 

 

豪華なメンバーでつくるコント。各々の実力は今の日本でトップクラスのコント師しかいません。売れっ子の芸人さんたちが忙しいスケジュールの中コントを考え、たくさんの目がある中で実力を示さなければいけないプライド。さらに松本さんの顔に泥を塗ってはいけないという何層にも重なるプレッシャーがあったと思います。それを上回るプレッシャーを受けるのが松本人志。相当な重圧だったと思います。僕ならと考えると鬱になるかもしれません。

 

面白いネタを作るには、コンビ間の阿吽の呼吸、ちょっとした間や熟練されたテンポが大切だと思っていて、それは漫才にもコントにも言えることなんですけど。積み重ねた練習の数。何時間も試行錯誤してくだりを考え、ボケの数を増やしたり、展開の順番を変えたり、オチのアイデアを絞り出したり、一つのネタを完成させるのに膨大な時間がかかるのを忘れてはいけません。

おそらくですが、今回はそこまで時間をかけられていないはず。

 

それを踏まえた上で、コントを見ていただきたい。

 

 

蓋を開けてみれば、まさに圧巻でした。お笑いに関しては素人なので技術面は全く分かりませんが、素人目から見てみれば他のコントと比べて一つ次元が違うという印象でした。

まず設定のアイデア。「おめでとう」のコントは始まってすぐに視聴者が東京03飯塚さんと同じ目線になってコントに入り込めるというところ。ほとんどのコントって観客側が俯瞰的になって面白い状況を見て、次第に変わっていく展開を見て笑うという構造が多い中、このコントは開始数秒で何か違和感を感じ、その違和感を持っている人が劇中に存在していて、その人と一緒に違和感を解き明かしていくという構造。これなら練習を積み重ねなくとも面白いと思ってもらいやすいシステムになるし、ただ見ている人の違和感となる松本人志が暴走するだけで、読めない展開や裏切りに引き込める。素晴らしいと思いました。

 

次に、後輩たちへのメッセージ性。コントの作り方だったり、テレビコントなりの見せ方、後輩たちのネタをリスペクトしそれぞれの長所を生かしたネタ展開で笑いをとるというカリスマ性にも脱帽でした。

 

コント内容について。「おめでとう」という言葉は言う側と言われる側の心の距離によって言葉の重さが変わる言葉だなと思っていて、

今の時代色んな人が何にも考えなくても表現できる場が存在して、不特定多数の人が閲覧できる場に自分の考えや言葉を軽い気持ちで発信できますよね。

心の距離や人間関係など度外視され、自分の言いたいことを好きな時に発信できる権利を持った状態で、「おめでとう」は多用され、SNS上で飛び交っている言葉のひとつ。

僕自身、おめでとうという言葉は関係性が近ければ近いほど響く言葉だと思っているんです。僕なりの解釈なんですが、この言葉は軽々しく口にするものではないと思っています。軽く口にしても響かない。

心の底からおめでとうと言う人もいるかと思いますが、言われた側からしたら顔も知らない人から何千件と言われる「おめでとう」応酬。響くと思いますか?

 

コントの最後あたりで、松本さんが見つめる先にはテレビがあり、そこに映し出されてるのはさまざまな「おめでとう」の形。ここでも沢山の「おめでとう」を切り取っているのですが、ニュアンスが違う別の種類の「おめでとう」がありました。

心がこもった「おめでとう」は近い人が言うことにより価値が増す。

芸能人の結婚、出産など置いといてまず、1番近しい大切な人に心を込めてとびきりのおめでとうを言うべきだと。

有名人の不倫、離婚、所詮他人の恋愛なんですから踏み込まず外野がとやかく言うことではないです。マイナスなことの方が人間って響くんですよね不思議です。

あくまで僕自身の「おめでとう」と言う言葉に対する価値観であって、不特定多数のおめでとうに感謝する人間もいることだと承知の上で書いてるつもりです。

 

話が逸れましたが、松本人志さんは僕の期待を裏切ることなく実力を証明しました。と同時にお笑い芸人へのリスペクトが高まり、芸人さんになることは諦めたことをここに残します。